阿波踊り            

                   連長 土屋

学生時代から根っからの祭り好きな性格で、実家の都内では毎年10か所以上神輿の担ぎ手として遠征をするくらい祭り好きでした。ポラスグループの入社試験(面接)にもハッピ姿で面接し、祭り好きをアピールするほどでした。

平成6年4月にポラスグループに入社いたしました。入社後阿波踊りについて先輩方々から説明を受けましたが、どう考えても納得が行かない阿波踊りに対する考え方がありました。「連に入連する人は○月○日に練習をするので集合!!」という勧誘のようなお知らせがありました。「練習??」なんでお祭りをするのに練習をしなくてはならないのか??

お祭りはぶっつけ本番、予期せぬハプニングとかあるから楽しいのに・・・ なんで練習??

と決して阿波踊りをすぐに受け入れるような状態ではありませんでした。

同部署の先輩方々は、阿波踊りに関して「会場設営」がほぼ8割9割で、「工事部は設営」と教えられたような状態でした。現場監督志望でこの会社に入ったのもありましたし、根本的に「作成作業」は好きでした。南越谷阿波踊りなんてそれまで全く知らなかったお祭りでしたし、阿波踊り自体「徳島の踊り」程度にしか考えていなかったものですから、そんなに情熱が入っていませんでした。

入社5年目頃に営業出向制度により現場監督の部署より不動産営業の部署へ出向になってしまいました。自分の予定では6カ月12棟売り監督の部署に夏までには戻り、今年も例年の様に阿波踊りの設営をやる予定でいました。

しかし、思った以上に業績が伸びずその年設営に携わる事ができませんでした。

その後営業の目標も達成して、晴れて阿波踊りに設営として返り咲きをしたのですが、まだ8月の本番まで日にちは程遠い4月か5月、前年まで設営副委員長をされていた先輩から「土屋は今年副委員長だから」と言われ、反論する間もなく引き受けることが決定してしまいました。新しい組織に入り込むのが苦手な私としては、非常に躊躇は致しましたが最後は腹をくくって「やるなら精一杯!妥協せず!!」をテーマとして引き受けました。

まあ委員会に所属することにより発生した問題の数々・・・

約1カ月で5㎏位は軽く痩せてしまいました。

阿波踊り当日、初の委員会参加による本番ということで、非常に緊張しました。

本当にあっという間に時間が過ぎ、1日目が終わりました。

設営部隊が解散したのが夜中12時頃。それから本社に戻り、今日の反省と明日の課題・作戦会議を致します。本社の2階(現在は更衣室?)で各委員会の報告。もちろんそれを仕切っているのは先代の中内俊三会長。

設営委員会の今日の反省・明日の計画を発表したところ・・・  的確・迅速な指示、過剰なまでの労い、目標達成までのストーリーなどを淡々とお話しされ、時計を見たらAM4:00位だったと思います。

しかし、翌朝から今話に出た内容の手直しや改善を行うため、自宅にはシャワーを浴びる程度にしか戻れませんでした。

翌日、十分満足した先代の笑顔が今でも忘れられません。

翌年、設営委員長は私にスライドし、第16回南越谷阿波踊りの設営委員長として会場全体の設営を任されました。

しかし、南越谷阿波踊りに衝撃的な出来事がありました。「会長が入院した!!」と報じられ、阿波踊り自体どのように存続させていくのか議論致しました。

私たち設営部隊は、昨年の委員長からの引き継ぎにより仕事内容も確定され、淡々と会場設営をこなしていきました。

いつか会長に「設営素晴らしい!!よくここまでやった!!」とお褒めの言葉を頂けることを夢見て我武者羅に設営しました。委員長1年目、会場設営期間で18㎏減量になりました。非常にきつかったが、やりがいを感じた仕事でした。

本番が終わり恒例の反省会で私は実行委員長に聞きました。

土屋「会長は今年見てくれたのでしょうか??」

実行委員長「会場にはお越しになられてなかったな」

どうしても見てほしい。会長に今の会場設営を見てもらい、元気になってもらいたい。それを実現させるためにあらゆる手を使い会場設営を行いました。

まず、「中内俊三会長はどのような会場を想像して私たちに指示を出しているのだろうか??」

副委員長の太田さんと話し合い、「お盆の徳島ツアーに参加して、中内会長が見た理想となる阿波踊り会場とはどのようなものか」勉強しに行くことにしました。

その年のお盆、徳島ツアーに参加し生まれて初めて「徳島」という地に降り立ちました。

飛行機から降りた時点から「よしこの」阿波踊りのお囃子が流れており、空港の外では阿波踊りを踊っている連もありました。

「見に来るお客様に対しての徹底した阿波踊り体制」が非常に印象的でした。これはおそらく南越谷・新越谷駅前での企画に最適であろう。

常々、先代の中内会長がおっしゃられていた言葉で、「第20回の南越谷阿波踊りで100万人の観客動員を目指す」と言われ、実際100万人ってどんな人か想像もつきませんでした。

徳島の市内に入り、初めて味わう本場徳島の阿波踊り。しかも人、人、人・・・

これが100万人の観客なのかと感じました。

提灯は何故か赤と黄。踊りのメイン通りはお客様が雛壇になり観覧できるような「桟敷席」があり、音響設備、照明設備、ごみ回収の設備などなど4日間では見足りないほどの新鮮な会場を見ました。

もちろん本番の本物の有名連と呼ばれる連の踊りも見ました。でも、「練習あっての阿波踊り」という概念が消されず全く踊りには興味を示しませんでした。

越谷に戻り、「中内俊三が見た阿波踊り」というキャッチフレーズを元に会場設営に打ち込みました。いつご覧になられても完璧の様に、「日本の三大阿波踊り」として恥じないために、がんばってみました。

数年後、一番見ていただきたかった先代 中内俊三会長が永眠してしまいました。

ただ、絶対あの会長の事だから、本当に天から見られているように感じていました。

本番当日3日前、決まって5年間位同じ夢を見ました。

本社の8階か9階、いずれにせよかなり高度な場所へ私は先代中内俊三会長に呼ばれるところから夢が始まります。

先代「土屋君!!もう本番間近なのに、この設営の有様はなんだ!!」

土屋「・・・」(眼下を見下ろしながら)

  上から見たメイン通り(東口中央通り)は照明もしっかり取りついておらず、提灯も要らないのに付いていたり、足場が倒れていたり・・・  悲惨な状態でした。

先代「しっかり本番には直しておくように!!」

土屋「すみませんでした」

こんなやり取りの夢を見ます。かなりリアルでした。

それだけ南越谷阿波踊りに対する意気込みを我ながら感じていました。

しかし、私にはわからない会場の細かい配慮が絶対あると思い、先代の中内俊三会長は徳島出身なのだから、現役の徳島県人に問題点を聞いたら教えてくれるかも知れない。

まして、阿波踊りを踊っている徳島県人なら的確なご指摘を頂けるかも知れない。

と考え、のんき連南條連長にお話を聞ける機会を頂けました。

南條連長は、一昔前の徳島阿波踊りに似た会場設営で、懐かしく感じると共に、非常にお客様と近い関係で踊りが見せられる、踊れる会場が好きです。とおっしゃられ、問題点もいくつかお聞きできました。

そんな形で私とのんき連さんのお付き合いが始まりました。

お盆の徳島にも何度も行き、越谷に足りない何かを探しに行きました。

お盆以外のOFFシーズンにも徳島を訪れ、素の徳島を見て「なぜ先代の会長はここ南越谷で阿波踊りを開催したのか?もっと他の場所だって良かっただろうに??」などと考え、いろいろなシーズンの徳島を見に行きました。

そのうち、踊り手が踊りやすい会場を作るために、踊り手や鳴り物の気持ちも理解しなくてはならないと考え、のんき連南條連長に踊りの基礎を習い始めました。

踊りは思った以上に奥深く、簡単にできるものではありませんでした。阿波踊りに携わり始めた時の「なんでお祭りをするのに練習をしなくてはならないのか?」という概念が一気に消されました。「練習をして、基礎がしっかりできないと踊りが踊れない」ということが十分理解できました。

その後懸命に練習して、徳島ツアーにはスタッフとしてではなく踊り手として参加するようになりました。南越谷の本番では決して踊る事が出来ない設営委員長が誕生しました。

踊り手の気持ちを理解し、観客の気持ちも取り入れ会場設営しました。

「土屋さんはそんなに阿波踊り好きなのになぜ南越谷で踊らないの?」と多くの人に言われました。私はこの時点で踊ってはいけないと自分に言い聞かせていました。

何故かって?南越谷で踊ってしまった場合、おそらく楽しくて、楽しくて設営なんかやらなくなってしまいます。私が設営委員長を指名された当時、本人の意思確認も無く委員長に就任させられたのが非常に納得いかず、私が後世に引き継ぐ際は自ら委員長を立候補するような人材が現れた場合、委員長の座を譲ると決めていました。

自ら立候補した場合、やる気があるから立候補される筈であって、少なからず「やらされた感」は起きない筈です。そんな感じで、できる限りは委員長をやりたい人が出てくるのを待っていました。

 そんな時、現在の設営委員長が「僕やりますよ!!」と言ってくれました。夢にまで見た立候補者!!素晴らしく感動致しました。

 それと同時期に、中内代表より「POHAUSで阿波踊りやるから、連長お願いします」と言われ、ちょうど設営委員長も外れ、会社創業40周年で、南越谷阿波踊りの25回目でしたので、快く設営委員長の座を譲ることが出来ました。

そして2009年阿波踊り連立ち上げとなりました。 

今後の連長としての夢は、このように社員とお客様が一体化した連は初めてで、もっともっとお客様との交流を深め、PO連として徳島の地に踊りこみが出来たらいいな~と考えてます。私が徳島に行って感じた感動、もっと多くの人に知ってもらいたい。徳島に行って本物を本番で自分の目で見てほしい、感じてほしいのが私の希望です。

そんな私と阿波踊りの出会いから今までです。

                                 以上